佐藤
「セールの企画です。航空会社とホテルに掛け合って、この値段で出してもらいました。」佐藤の声に、全員が数字が並んだスクリーンのパワーポイントに注目した。
「ちょっと安すぎるんじゃない?それで利益出せるの?」
中村は指摘した。この価格でやったら利益が出ないどころか、予約が全て埋まったとしてもマイナスになりかねないようなプランばかりだ。
「おっしゃる通りです。なので今回、この価格を実現するには、信販会社への手数料をゼロにする、つまり現金支払いのみを考えています」
想定通りの質問だったらしく、佐藤は淀みなく答えた。次のページには予想コストと収益も準備されていた。
「さらに、これは先行投資でもあります。競合他社の自由クラブが倒産した今、一番安いのは我がAトラベルだと顧客に印象付けることで、未来の顧客獲得も目指します」
「いいんじゃないか?とりあえずやってみたら」
結局部長の鶴の一声で全てが決まった。
今日は野球の開幕戦だ。早く会議を終わらせて帰りたいのだろう。それを踏まえてこの時間に会議を設定したのなら、佐藤もなかなかのやり手だ。
葵
「ねえ葵、例の夏休みの旅行なんだけどさ」
久しぶりに座れた通学中の満員電車で、さくらは膝に置いたカバンからが何かを取り出して広げた。
インクの匂いが鼻をつく。白黒で印刷された新聞には、目を引く文字が並んでいた。
「やすっ!ハワイ一週間で15万円!?」
葵は思わず声をあげた。
ここ一ヶ月ほどずっと、夏休みの旅行プランを考えていたので大体の相場は分かっていた。それからすると格安と言っていいほどの値段だ。
旅行代を捻出するためにバイトの時間を増やすつもりだったが、この値段ならその必要もなさそうだった。
「これなら他の人も来れるんじゃない?みんなで行った方が絶対楽しいし」
さくらはもうすっかりこの旅行会社に決めてるような口ぶりだ。
「そうだね。でもこれいくらなんでも安すぎない?うちらが探した時って大体これの倍近くじゃなかったっけ?」
「そうだけど…、たぶんホテルがちょっとしょぼかったりするんじゃないの?でも昼間はほとんど外に出てるわけだし、寝るだけならどんなところでもよくない?」
まるで男性のような口ぶりだ。世の中がこんな女子ばかりなら男女関係はもっとうまく行くかもしれない。
「あ、でもちょっとまって」
葵は新聞広告を凝視した。
「ほら、ここ見て」
小さく書かれている文字を指差した。読み流していたら見落としてしまうような文字だった。
「『お支払いは現金のみとなります』…これがどうかしたの?」
「こないだニュースになってた旅行会社あったじゃん?そこ、潰れる前に現金払いのみの旅行プランをやってたみたいなんだよね。この会社もやばくない?」
「えーでも新聞に載ってるような会社だよ?」
「そこも新聞で宣伝してたとか言ってたような…忘れたけど」
「そうなんだ。あとで調べてみよ?あ、降りなきゃ!降りまーす!」
鈴木
「山田君、君は確かハワイで挙式するって言ってたよね。どこの旅行会社で行くの?」
鈴木主任が急に話しかけてきたのにも驚いたが、その内容にも驚いた。主任にはもう少ししてから言おうと思っていたが、噂を聞きつけたのかもしれない。
「実はそうなんです。報告が遅れてすいません。旅行会社ですか?」
なぜそんなことを聞いてくるのかわからなかったが、答えざるを得ない。
「実は、貯めたマイルで行くんですよ。式は泊まるホテルでやるんですけど、そこもホテルの公式サイトで予約しました」
「じゃあ大丈夫だな。気にしないでくれ」
気にするなという方が無理な言い方だ。
「何かあったんですか?」
山田はたまらずに鈴木主任に尋ねた。
「いや、今日たまたま電車の中で女子大生らしき子の会話を耳に挟んだんだが、Aトラベルっていう会社で予約してるんじゃないかと思ってね」
「えっ?どういうことですか?」
Aトラベルといえば、格安でおなじみの旅行会社だ。
「それがね、新聞にその旅行会社の広告が出てたらしいんだけど、それがめちゃくちゃ安くて。で、ネットで調べてみたら現金一括振込しか受け付けてない会社は危ないって書かれてる記事を見つけたんだよ。それでちょっと心配になったというわけなんだ」
そういうことか。山田は胸をなでおろした。
「そうだったんですね。自分は大丈夫ですけど、そういえば親族がどうやって行くのか確認してなかったので、一応そこはやめるように言っておきます。ありがとうございました!」
「やだ主任、そんなわけないじゃないですか。結婚式なのにそんな安いとこで予約したら一生奥さんに根に持たれますよ」
一部始終を聞いていたらしい総務の田中さんが会話に加わってきた。彼女が喋り出すと30分はおさまることがない。
陽奈
「(予約してるんですけど…)」
陽奈は心の中で呟いた。
鈴木主任の口からAトラベルという名前が出てから、パソコンに向かう振りをしながら、耳に意識を集中させていた。
陽奈はまさにAトラベルでお盆の旅行を予約していた。いや、正確にはお盆の最終日に出発し、木曜日に帰ってくる、その時期では一番安かったプランだ。お盆明けの4日間は、謎の奇病にかかる予定だった。
そして、その代金は既に現金で振り込み済みだった。しかも、あまり乗り気ではなかった友人の分も一緒に、だ。
「(現金一括がやばいってどういうこと?)」
もう仕事どころではない。一刻も早く、事の真相が知りたかった。ノートパソコンを閉じ、スマホを片手にトイレに向かった。
トイレの個室に入り、ブラウザを立ち上げる。震える手で検索窓に「Aトラベル」で検索する。トップに公式サイト、続いてツアー情報、口コミサイトと並んで表示されていた。口コミは不満が書かれたものもあったが、1ページ目には、経営状態が悪化しているなどの情報は見つからなかった。
続けざまに2ページ目を開く。その一番下にあった記事が目に止まった。
「旅行会社選びで気をつける点とは?」というタイトルの記事だった。そこには確かに「現金しか受け付けない旅行会社は危険!?」というようなことが書いてあった。
伊藤
「ハワイもいいけど、タヒチも興味あるんですよねー」
伊藤はとりあえず知っている観光地をあげてみた。海外旅行は初めてだが、ナメられたくなかったからだ。
向かい合わせの旅行会社のスタッフはそれを知ってか知らずか、終始ニコニコしている。
「ちなみに、ご予算はいくらくらいでお考えですか?」
「んーまあ気に入ったところがあればいくらでもいいけど。ま、安いに越したことはないかなって感じ」
これも当然嘘だ。予算は10万円しかない。
ここが格安の旅行プランをやっているのは知っていた。15万円のハワイのプランの広告もネットの画像で見かけた。なので、やり方次第では10万円でハワイに行けるのでは?と淡い期待を描いて来たのだった。
「なんでキャンセルできないのよ!」
突然、伊藤の隣の女性が声を荒げた。
驚いてそちらを見ると、女性は椅子から立ち上がり、スタッフに掴みかからんばかりの勢いだった。
「ですからさきほど申し上げた通り、お客様が予約なさったのは現金一括プランでして、こちらはキャンセル不可にすることでお安く提供しているものなので…」
女性の顔を見れば納得していないことは一目瞭然だ。
「そんなの関係ないでしょ!」
関係は大ありだと思うが、既に冷静な会話ができるような状態ではなかった。
「なんだこの人…おもしれーな」
伊藤はポケットのスマホを取り出し、さりげなく女性の方を向けて構えた。
渡辺
「旅行会社でプラン考えてたら隣のおばさんが発狂してた。『金返せ!』とか叫んでたけど何?」
渡辺がツイッターを見ていると、こんなツイートが流れてきた。ツイートには怒り狂っている女性の顔がそのまま添付されていた。
フォローしている誰かがリツイートしたらしい。このツイートはもうすぐ5000RTに伸びる勢いだった。
ツイートを個別表示させると、たくさんのリプライがついていた。「これって○○店?」「盗撮だけど大丈夫?」「お前のツイート伸びすぎじゃねwww」「FF外から失礼するゾ〜」
その中でも、一際目を引くものがあった。
「Aトラベルって最近現金一括セールやってたとこだよね。金返せってことは旅行のトラブルがあったんじゃないの?自由クラブみたいに」
渡辺は新しいタブを開き、自由クラブを検索した。自由クラブの倒産の経緯を見ると、確かに倒産直前に現金一括セールをやって現金をかき集めていたという内容が書かれている記事が見つかった。
「これは稼げそうだな…」
渡辺は早速ツイートの主へのリプライボタンを押した。
「はじめまして。ネットニュース総合サイト『アフィニュース』と申します。よろしければこのツイートを掲載させて頂くことは可能でしょうか?」
山本
「【悲報】Aトラベルでトラブルwww現金一括プラン返金されず」
山本は目に入った瞬間にリンクをクリックした。なぜなら山本自身もAトラベルで旅行を予約していたからだ。
リンク先には、暴れる女性の写真とそれを撮影したと思われる人物のツイートが貼り付けられていた。
内容としては、現金一括プランをキャンセルしようとしていた女性が、キャンセル不可だと返金を断られたため、暴れたというものだった。
また、その記事の中には、前に倒産した自在クラブのことも書かれていた。「現金一括プランでお金を集めるのは倒産の前触れ?」などと書かれていた。
山本が予約したのは現金一括プランではなかった。クレジットカードで支払いもしていたし、キャンセル料も75日前まではかからないものだった。
カレンダーを見ると、出発まではまだあと3ヶ月以上あった。
「…念のためキャンセルして別のところにするか」
山本はスマホを開き、旅行サイトを検索し始めた。
佐藤
「またキャンセルの電話よ。これで今日5回目、いや6回目だわ」
「私のところにもさっきかかってきたわよ。この会社大丈夫なのかしら」
オペレーター同士の会話が響く。聞こえないようにするという配慮ができないのだろうか。
佐藤は焦っていた。
自分が企画した現金一括プランは、初めこそ売り上げは好調だったが、日に日に勢いを失っていった。
その理由も知っている。SNSを中心に、Aトラベルは経営が危ないなどという根も葉もない噂が流れているからだ。
噂ならまだいい。今となっては自分の企画の売り上げが減っているばかりか、従来の商品のキャンセルまで相次いでいる。あいつのせいで俺の商品がキャンセルされたなんて陰口を叩かれていることも知っていた。
佐藤はスマホのホームボタンを押した。ツイッターのアプリをタップし、自分のタイムラインを表示させた。フォロワーにはAトラベルのことを話題にしている人はいない。全てブロックしたからだ。
しかしツイート検索をかけてみると、山のように出てくる。「Aトラベル自分も使ったことあるけど対応微妙だったなー。まあ安いからしょうがないけど」「そもそもあの金額でまともに旅行できると思うのが間違い」「予約した奴は早めにキャンセルしておけよ」というようなコメントがネットニュースのリンクと共に並んでいる。既に倒産が確定したかのような口ぶりだ。
「なんとかしなきゃ…」
ツイッターをログオフし、ため息をついた。もう、この手しか残っていない。少なくとも今の佐藤にはそう思えた。
震える手で押したのは「アカウント作成」ボタンだった。
中村
「【本物?】このタイミングでAトラベルが公式アカウントを作成wwwwwww」
中村がベッドの上でネットニュースのランキングアプリを開くと、一番上に来たのはこんな記事だった。急いでその記事を開くと、驚愕の文字が飛び込んで来た。
そこには、「Aトラベルの公式ツイッター始まります!おトクな旅行情報を届けていきますのでよろしくお願いします!」と書かれていた。
会社の公式ツイッターを開設するなんて話は全く中村の耳に届いていなかった。そんな話が広報部を通らずに行くわけがない。
ということは何者かが面白半分に作っただけのアカウントということになるのだが、時期が悪すぎた。
中村はアプリを切り替え、ツイッターを立ち上げた。検索窓に「Aトラベル」 と打ち込んでボタンを押すと、早速件のアカウントが見つかった。
まだツイート数は一つ、あのニュースに掲載されていたものだった。しかし、そのツイートのリプライ欄が恐ろしいことになっていた。
「Aトラベル倒産するって本当ですか?」「なぜこのタイミングでアカウントを作ったんですか?」「本物?なりすましなら通報案件だが」「現金一括払いの予約キャンセルしたいんですけど」等々、読みきれないほどのツイートが飛んできていた。
「誰だよこんなの作ったやつ…」
実は、昨日のミーティングで誰かが冗談半分に言ったのを聞いていた。
「いっそ公式ツイッターでも作って否定したらいいんじゃないですか?」
もちろんその案は却下された。こうなることが目に見えていたからだ。
しかし、目の前には確かにAトラベル公式と名乗るアカウントが存在している。ユーザーにその真偽を知る術はない。
「とにかく、なんとかしないと…」
中村は10分で身支度を整え、会社に向かって走り出した。通勤ラッシュの一番ひどい時間帯だか、そんなことは気にしていられない。
最寄り駅に到着すると、発車待ちの電車に駅員が乗客を押し込んでいるところだった。その隙間に身を滑り込ませた。
吉田
「分かりました。今回は見送ることにします。では先ほどの件、くれぐれもよろしくお願いしますよ」
相手が電話を切ったのを確認して、荒々しく受話器を叩きつけた。
「今週号のトップ記事差し替えだ。事務所からストップが入った」
編集長の声にフロア内が騒然となる。今週号の目玉記事は大物俳優の不倫記事のスクープだった。ベテラン記者が何ヶ月も追ってやっとモノにしたものだった。
「そんな…どうするんですか?」
「キッチリ見返りのネタは貰うから心配するな。それより問題は今週の空いたスペースをどう埋めるかだ。トップ記事は例の政治ネタをスライドさせるとして、なんかもう一つないか?」
「いや無理ですよ…入稿のリミットは明日の朝ですよ?」
時計は20時を指していた。今から記事を書くにも徹夜作業になるし、そもそも急遽拵えられるようなネタもない。
「こんなのでよければすぐ書けますけど」
フロアの最後部から吉田がスマホを掲げながら声をあげた。
「どんなネタだ?」
編集長は吉田からスマホをひったくった。画面を指でスライドさせ、もの凄いスピードで読み始めた。そしてスマホを吉田に投げて返した。
「まあインパクトは薄いが無いよりはマシか。よし、これで行こう。いつまでに書ける?」
「2時間もあれば」吉田は腕時計を見ながら答えた。
「1時間で仕上げろ!あとは表紙と目次の修正と印刷会社に連絡!」
その場にいた社員たちは蜘蛛の子を散らすように自分のデスクに戻って慌ただしく作業に取り掛かった。
加藤
「お前、これ読んだか?」
小林は開かれた週刊誌を投げるようにデスクに置いた。加藤は訝しげにそのページに目を落とした。
「なんですか?『連鎖倒産の予兆…現金一括払いプランで明らかになった旅行業界の闇』…これってもしかして…」
加藤の顔色が変わる。
「お前の担当のAトラベル、こないだの新企画ってまさにそんな内容じゃなかったか?」
確かにそうだ。顔馴染みの課長と、若い社員が一緒にうちに来たのを覚えている。企画の内容はぼんやりしていたが、月の目標達成のために融資を承諾したのだった。
「金額的には大したことないかもしれないけど、取引先が倒産で金が回収できないとなると出世に響くぞ」
確かにそうだ。今までそうやって左遷された人たちを何度も見てきた。銀行という世界においては、石橋を叩きすぎるということはない。
「小林先輩、ありがとうございます。早速対応します」
加藤は話し終えると同時に電話の受話器を取り上げた。
葵
「正午のニュースです。昨日倒産を発表した格安旅行代理店のAトラベルが会見を開きました。倒産の理由は、旅行商品の売上げ低迷と、資金不足によるものとのことです。それでは会見の様子をVTRでご覧ください。」
学食のテレビから流れてきた単語に、葵はカレーを食べる手を止めた。
「これってこないだのあそこじゃない?」
黙々とサンドウィッチを食べているさくらに問いかけた。きょとんとした顔からは、事態を把握してないことが伝わってきた。
「ほら、前に電車の中でさくらが持ってきた新聞広告よ。確かあそこに載ってた会社、Aトラベルって名前じゃなかったっけ?」
「ああ、あの安いツアーのやつね。そんな名前だっけ?忘れちゃった」
さくらはサンドウィッチを食べる手を止めることなく答えた。
「呑気ね〜。もしあのまま申し込んでたらハワイ行けないところだったじゃん。あたしが気づいたから良かったものの」
「まあまあ、それよりさ、これからハワイ用の服買いに行かない?」
「あんた今日も授業サボる気?単位落としても知らないよ?」
「とりあえず今はハワイ事しか考えられないから。こんなにいい天気だし。授業は旅行から帰ってから!」
「まあいいか、今日はいい天気だし。」
葵は窓の外の景色に目を向けた。雨が続いた後の、久しぶりの快晴だった。ハワイの空はもっと青いのだろうか。
~おわり~
この物語はフィクションです。
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